#24 by ritsuo / 2014.05.31
おじさんたち訴訟レポート

再接続経費裁判も勝訴。 だけど「地方自治」は尊重されなかった...

5月16日、国立住基ネット裁判は「再接続経費」についても「勝訴」しました(東京地裁・谷口豊裁判長)。原告は国立市住民3人、被告は佐藤一夫現国立市長。関口博前市長・上原公子元市長は被告側補助参加人としてこの訴訟に参加しています。

 判決主文

  1.原告の請求をいずれも棄却する。

  2.訴訟費用は原告らの負担とする。

判決主文を読む限り完全な「勝訴」でした。

ところが判決文を読み進めていくと、「不法行為」「共同不法行為」ということばが繰り返し繰り返し使われていて、「後味の悪い判決文」だというのが、私だけでなくジモトの支援グループメンバーからも出てきた率直な感想です。

誤解しないでください。関口さんも上原さんも、そして2人の裁判を支援してきた国立市民の皆さんも、この「勝訴」を歓迎しています。そしてこの判決を導いた弁護団の仕事に感謝しています。

東京高裁で3月26日出された「切断経費裁判勝訴判決」(勝訴確定)と同様、今回の判決もまた、司法が「住基ネット切断」の「違法性」について、実質的な違法性の追及を行わないことを示した判決なのですから。

以下は、なんで後味が悪いのだろう−−そんな視点を含む「勝訴の報告」です。

勝訴のポイントは「損益計算」

簡潔に判決の主旨をまとめると、「住基ネット切断は違法」だから、再接続のために国立市が行った支出(認定額1814万7150円)は市の「損害」にあたる。しかし接続していたら支出していたはずの2090万7663円(認定額)について国立市は「支払いを免れた」ため、損益計算をすると「損害」は出ていない。「国立市においては、本件不法行為による損害はなかった」ので、「原告らの請求はいずれも理由がない」という判決です。

「法理論」で負け、「事実認定」(損益計算)で勝ちでした。

弁護士さんの話によれば「判決の内容は事実問題なので、(原告が控訴して)それ以上争うことは難しいとは思う。でも、控訴するかも?」とのこと。控訴期限は5月末です。

民主主義・地方自治のコスト

一連の住基ネット(差止)訴訟最高裁判決によって、「切断の違法性」は判例として確定しているため、今回の判決でも切断とその継続は「住基法に反する違法なもの」と判断しています。

このため、国立住基ネット裁判における元・前市長の弁論は、地域社会の選択−−自治として行われた「住基ネット切断」とその継続が違法となったとしてもその責任は首長個人に帰すべきものではないと主張しました。

つまり「切断」は、住民の意見の把握(アンケート調査、請願、市長選挙など)、議会の決議や予算・決算の承認、個人情報保護審議会や市役所の内部会議による検討など、住民自治・団体自治の手続きの中で形成された政策でした。またその過程では、技術や法律の専門家の意見、他の自治体の政策、情報漏えい事件が多発していた事実などを広く考慮してきたことが、弁論で指摘されています。

このような自治的手続きの中で形成された政策判断が違法なものとされたとしても、そのために支出された費用は「民主主義(地方自治)のコスト」であって「首長個人に損害賠償を求める」ようなものではないということです。

首長の過失(個人責任)の認定

これに対して判決は、総務大臣から「切断は違法になる」との回答が市に対して出されており、都知事からも地方自治法に基づく「是正の勧告」などを受けていること、また「切断」の結果「再接続のために国立市において費用が発生することを容易に予見することができた」として、「切断とその継続」という政策を採用したことには首長個人の「過失が認められる」としました。

また、地方自治法16、17条が「地方公共団体」の法令順守義務と違法行為の無効を規定していることを指摘し、違法行為による損害の補てんのために「長に対する請求を予定している」(地方自治法242条)として、前述した関口さん・上原さんの「民主主義のコスト」という主張を退けています。

「自治」はどこにあるのか?

以上のほか判決は、上原さん・関口さんの主張の大部分を退け、原告の主張の多くを採用しています。つまり「法理論では敗け」でした。

その上ではじめに書いたように、「切断」のために発生した支出は、「切断」によって「支出を免れた」費用よりも小さいので、国立市には「損害はなかった」として、原告の請求を棄却する判決が出されたわけです。つまり「事実認定で勝ち」というわけです。

この判決には、「地方自治法」条文の適用はあっても、「地方自治」の尊重は見つかりません。

前回3月に出された「切断経費裁判」の高裁判決も、「切断の違法性」については同様の判断をしていますが、「切断経費」支出の違法性認定については、「普通地方公共団体が住民の福祉をはかることを基本として地域における行政を自主的かつ総合的に実施することを広く担うものとされていること(地方自治法1条の2第1項)などを考慮すると」などとして、随所で自治体の自主的な判断を尊重しました。しかし今回の判決にはこうした配慮がないのです。

それにもかかわらず今回の判決でも、地方自治の本旨(住民自治・団体自治)の手続きによる自治体独自の政策形成は「救済」されたといえるでしょう。すくなくとも政策執行の責任(損害の賠償)を首長個人に求めることは、前回の東京高裁判決同様、実質的に回避されているのでから。

後味の悪さの起源

繰り返しますが、この判決は「法理論上」、地方自治を何も尊重していません。それは「地方自治法」自体が「地方自治の本旨」についても、それがどのように尊重されなければいけないかについても、前述した1条の2第1項以上の規定をほとんどしていないからだといえそうです(*1)。

むろん、自治体が行う自治的な手続きであれば、どのような政策でも自由に採用できると言うつもりはありません。それは国家が「どのような政策でも自由に採用できる」わけではないのと変わりません。

日本には「地方自治体」が存在しないことをあからさまに地域社会に示した−−それがこの判決の「後味の悪さ」の起源であるとしたら、「住基ネット反対運動」はこれから何考え、何をすればいいのだろう?

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*1:「日本国憲法と地方自治法は、その出発点において「地方自治」の具体化を行わず、大日本帝国憲法下で形成された中央集権型の「地方統治」の制度を引き継いだ。」(西田亮介「『不自由』な日本の地方」2012.7、「思想地図β」vol.3)

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