#6 by ritsuo / 2013.03.14
おじさんたち訴訟レポート

おじさんたち訴訟の「ややこしさ」をリストしてみた

おじさんたち訴訟シリーズ

このキャンペーンが「おじさんたち訴訟」と呼んでいる「正義のおじさんたち」の活動は、じつは訴訟だけではありませんし、おじさんたちが直接原告になっていない訴訟も含まれています。現在訴訟は3次まであります(場合によっては近い将来4次訴訟が始まるのかもしれません)。

「第1次おじさんたち訴訟」は終了して判決も確定していますが、残る2つの訴訟は、終了した1次訴訟がきちんと検討していなかったことを議論しているという側面を持っているように見えます。

「おじさんたち訴訟」の実際の内容については、こちら(まだ裁判の「流れ」と概要などだけです。ご容赦)をご覧ください。

行政不服申し立ての審査もあった

そして、1次と3次の訴訟の前に、国立市の行政不服審査会への不服申し立てがそれぞれありました。どちらの不服審査の結果も、審査委員の意見が一致せず、「合議不調」だったことも、おじさんたち訴訟シリーズを余計複雑にしているようです。

奇数次訴訟の原告はおじさんたち 偶数次訴訟の原告は国立市

重層的な手続きに加えて、前述したように、提訴する原告がおじさんたちだったり(1次・3次訴訟はおじさんたちが原告、国立市が被告)、2次(とこれから起こされるかもしれない4次の)訴訟は、原告が国立市、被告は関口前市長です。

まあ、こういう手続的なややこしさは、国家賠償法(国家の法です。市町村や都道府県の法:条例じゃありません)の手続き規定によるものです。この点については、「おじさんたち訴訟」をややこしくしているのはおじさんたちの活動そのものじゃないのですが。

もうひとつのおじさんたち訴訟

また「もうひとつのおじさんたち訴訟」もあります。こちらは「住基ネット」問題ではなく「景観訴訟」(明和マンション問題)に関連した、元市長をターゲットとする訴訟です。で、現在はこれも、おじさんたちが直接原告になっているわけじゃないのです。詳しいことは→こちら

「正義」の直感を根拠にするとわかりやすくなる(?)

これだけでもう、かなりややこしいのですが、手続的なややこしさだけじゃありません。提訴の根拠が、何だかとても分かりにくい印象なんです。たぶんおじさんたちも、けっこう分かりにくいなぁと思ったのではないでしょうか。

でもそれをすごく単純化する方法がありました。

それが、「国家の法による正義の実現」という直感です。これを前面に置いておけば、ともかくとてもシンプルな価値観だから、まちがいなくわかりやすくみえる。

どっこい、「正義の源泉としての法」って、じつはややこしいのだ

だけどちゃんと考えるとこれは直感でしかないので、法律の論理として矛盾だらけだったりします。

実際問題としては、たいていの人がそう思っているように、現行法体系は複雑怪奇で微妙にからまり矛盾だらけだ。それでも何とか「法」が運用されてるのは、これまた膨大で詳細な「通知」(現在は「通達」とはいいません。法的な強制力もかなり弱くなってる)とか「判例」、「前例」、運用者(中央政府)に与えられている大きな運用権限とかです。

そういう、じつは複雑怪奇でいくつも矛盾を抱え込んでる「現行法体系」を、「絶対的な正義」というすごく「シンプルな価値観」の根拠にしようとしてもむりがあるわけで。

つまりおじさんたちは、「法による正義の実現」と言うシンプルな原理をかかげたことで、じつはよけいに、ことをややこしくしてしまっているみたいなのです。

「正義」の前では「なんとなくの合意」なんてわすれていい(?)

じっさい、当時多くの人がそれぞれの理由で、「切断した方がいいなと思った」結果「地域としてはとりあえず切断した」のだという「実感」は、おじさんたちの正義の「直感」とはぜんぜん関係がないわけです。

そうすると、「地域住民のなんとなくの合意」(地域せいじによる地域の意思決定)があったことが、おじさんたち訴訟の原告の論理ではぜんぜん見えないということがおきちゃうらしい。

「なんとなくの合意」は確かにあったでしょう。で、おじさんたちは「地域の外の正義」を採用することで、一見すごくわかりやすい訴訟を提起しました。そして、地域としての意思決定にたくさんの人が「何となく参加していた」ことを、全部忘れることになってしまった。でも、忘れてない人はたくさんいるので、ことはますますややこしくなってしまったわけ。

 まえの記事 «   » つぎの記事